『アメリカン・ミー』という映画を知る者は多いであろう。
これはメキシカン・マフィア(ラ・エメLa Eme)を題材としたチカーノギャング映画の代表作である。
監督・主演を務めたエドワード・ジェームズ・オルモスが、刑務所ギャングのボス・モントーヤ・サンタナを演じた作品として知られている。
しかし、この映画の真の恐怖は、公開後に起きた現実にある。
主人公モントーヤ・サンタナのモデルは、実在のメキシカン・マフィア創設メンバーであり伝説のボス、ロドルフォ“シャイエン”・カデナである。
また、主人公の相棒・J.D.(義足の白人)のモデルは、ジョセフ・モーガン(通称“ペグレッグ”)である。
彼は17歳で殺人を犯し、脱獄中に警官に足を撃たれて義足となった白人でありながら、ラ・エメのゴッドファーザーとまで呼ばれた男である。
撮影現場には本物の刑務所が使用された。
カリフォルニア州フォルサム刑務所およびチノ刑務所である。
800人の現役受刑者と看守がエキストラとして出演し、ロサンゼルスの撮影シーンではイーストLAの実際のギャング抗争地域が使われた。
これにより、暴力描写は極めて高いリアリティを帯びた。
メキシカン・マフィア(ラ・エメ)は、カリフォルニアで最大かつ最も恐ろしい刑務所ギャングの一つである。
正式メンバーは350〜500名程度とされるが、刑務所内には数千人の殺し屋と協力者がおり、カリフォルニア南部のヒスパニック系ストリートギャング、スレーニョスを統括し、ストリートには何万人もの配下を抱えていると言われている。
彼らは麻薬取引、恐喝、違法賭博、マネーロンダリング、人身売買、暴力、殺人を行う凶悪な組織である。
彼らの起源は1957年にまで遡る。カリフォルニア州トレーシーにあるデューエル職業訓練機関(現在の成人刑務所)にて、ルイス “ウエロ・バフ” フローレスを中心に、ヒスパニック系ストリート・ギャングの精鋭たちが結集したことが始まりである。フローレスが目指したのは、イタリアン・マフィアのような強固な結束だった。彼は反目し合う複数のギャングを一つにまとめ上げ、強大な同盟を構築。組織名もアメリカン・マフィアになぞらえ、「メキシカン・マフィア」と冠した。
彼らが掲げるシンボルマーク、通称「ブラックハンド(黒い手形)」には深い意味が込められている。これは1890年から1920年頃、イタリア系の恐喝組織が使用していた総称であり、「Dirty hand(汚れた手)」を意味するとされる。かつてコーサ・ノストラやカモッラが恐喝の際、支払いに応じぬ者への警告として黒インクの手形を送りつけていた歴史に由来する。メキシカン・マフィアのメンバーはこれを「死の黒い手」と呼び、イニシャル「M」を刻んだ黒い手形や「MM(Mexican Mafia)」のタトゥーをその身に刻んでいる。
血の誓約:La eMeの台頭
1960年代初頭、施設内での暴力激化に伴い、主要メンバーはサン・クエンティン州立刑務所へと移送された。ここで彼らはイタリアン・マフィアとの混同を避けるため、スペイン語で「M」を意味する「La eMe(ラ・エメ)」を自称するようになる。
創設者フローレスとロドルフォ・カデナは、メンバーに厳格な「血の誓約」を課した。それまでの「刑期を終えれば元のギャングに戻る」という生ぬるい関係を排し、メンバーシップは一生涯続くものと定義。ここに**「Blood-in, Blood-out(血で入り、血で出る)」**の鉄則が確立された。入会には殺人をはじめとする流血行為が必須であり、一度足を踏み入れれば脱退は許されない。裏切りや脱退を試みる者には、死の制裁が待っている。
組織の規約は極めて冷酷だ。禁止行為として
- 情報提供(密告)
- 同性愛行為
- 卑劣な振る舞い
- 仲間への無礼 これらは四大禁忌とされ、厳罰の対象となる。
他にも投獄前の争いは水に流す、たとえ家族や神の前であっても組織(ラ・エメ)を優先し、復讐には何十年かかろうとも必ず実行せねばならないといった規則があり、規約を破った者は、処罰または殺害される事もあるとされている。
聖なる戦士と死の刻印:ラ・エメの象徴と昇進の代償
メキシカン・マフィア(ラ・エメ)への忠誠を誓う「スレーニョス(南部の者たち)」のタトゥーには、単なる数字以上の深い歴史的背景が刻まれている。最も代表的なものは数字の「13」だが、これはアルファベットの13番目である「M」を指すと同時に、古代アステカ文明の数字表記にも通じている。
アステカの数記法において、「2本の横線と3つのドット」の組み合わせは、まさしく「13」を象徴する聖なる記号となる。また、彼らが用いる「Kanpol(カンポル)」という言葉は、ナワトル語(アステカの言語)で「南の偉大な」という意味を持つ。彼らにとってスレーニョとは単なる犯罪者ではなく、誇り高き「アステカの戦士」なのだ。そのため、彼らの肌にはアステカ戦士の盾や、戦争の神「ウィツィロポチトリ」の意匠が頻繁に描かれる。
隠語としてのシンボル:マリリン・モンローと蝶
一方で、法執行機関の目を欺くための巧妙な隠語的シンボルも存在する。
- マリリン・モンロー(MM): イニシャルが「Mexican Mafia」と一致するため、彼女の肖像は組織への忠誠を示すアイコンとして使われる。
- 蝶(マリポサ): 蝶の羽の形状が「M」を形作ることから、これもまた組織の象徴となる。
- リップ(唇): 唇の曲線が数字の「13」に似ているという理由から、キスマークのようなリップタトゥーが選ばれることもある。
これらの意図的に「マフィアらしからぬ」図像を用いることで、彼らは外部に対して密かに自らのアイデンティティを誇示しているのである。
「正式メンバー」への血塗られた階段
ラ・エメのピラミッドの頂点に立つ「正式メンバー(カナル)」への道は、極めて険しく、そして残虐だ。
まず、スレーニョスなどのストリート・ギャングとして頭角を現し、組織への絶対的な忠誠を証明しなければならない。そして、長い懲役刑を受けた後、刑務所内という極限状態において、ライバル組織のメンバーを殺害するなど、組織に多大な貢献を果たす「実績」を積むことが必須条件となる。
この厳格な選別プロセスのため、数万人の配下を持つとされるスレーニョスに対し、正式なメキシカン・マフィアのメンバー数は極めて少数に限定されている。しかし、その少数のエリートたちは、ストリート・ギャングに対して絶対的な命令権を持つ。
拒絶の代償は「死」
一度下された命令に「NO」という選択肢は存在しない。命令を拒否した者、あるいは与えられた任務を完遂できなかった者に対しては、組織の規律を維持するための「罰」が下される。その多くの場合、待っているのは冷酷な**「死」**の制裁である。
刑務所内の覇権と宿敵の出現
1966年までに、ラ・エメはカリフォルニア州の刑務所内におけるヘロイン密売などの利権を完全に掌握した。しかし、覇権を強める彼らの背後では、新たな敵も産声を上げていた。黒人組織「ブラック・ゲリラ・ファミリー(BGF)」との激しい対立、そして同じチカーノ(メキシコ系)でありながら、ラ・エメの横暴を嫌う者たちが密かに結成した「ヌエストラ・ファミリア(NF)」の台頭である。
ラ・エメはNFを「北の農村出身の劣等組織」と見下していたが、1968年、些細な事件が歴史を動かす。サン・クエンティン刑務所にて、ラ・エメのメンバーがNF支持者の靴を盗んだことを発端に大規模な暴動が勃発。「靴戦争」と呼ばれるこの衝突で19人が刺され、ラ・エメ側にも死者が出た。これ以降、ヌエストラ・ファミリアは彼らにとって最大の宿敵となった。
この四面楚歌の状況下で、ラ・エメは戦略的な同盟を組む。白人受刑者の間で一目置かれていたラ・エメの重鎮、ジョー・モーガンが、共通の敵(BGF)を持つ白人至上主義ギャング「アーリアン・ブラザーフッド」と接触。この血塗られた同盟関係は、刑務所内の権力図をさらに複雑で凶悪なものへと変貌させていくことになった。
1992年3月13日、『アメリカン・ミー』が公開された。
ラ・エメはこの映画に激しい怒りを抱いた。
まず、メキシカン・マフィアのボスであるカデナをモデルとした主人公サンタナの誕生が、1943年にロサンゼルスで起きたズートスーツ暴動における米軍海兵による性的被害の結果として描かれた点が、彼らを強く不快にさせた。
そして、彼らの最大の怒りを買ったのは、少年施設でサンタナが別の若者にレイプされるシーンである。
実際には、サンクエンティン刑務所の庭で、カデナは身長198cm、体重136kgの大男の黒人受刑者に顔にキスをされ、「この18歳は俺のビッチになった」と言われた。カデナは一旦その場を立ち去り、ナイフを手にすぐに戻ってきてその男を激しく刺殺した。1000人以上の囚人がその場にいたにもかかわらず、目撃者は誰も口を割らなかったため、カデナは一気に尊敬を集めたというのが本当の話である。
性的被害にあった者は組織の名前に傷がつくとして、絶対にリーダーになることはないとされている。
また、ラストのシーンでサンタナは自分のライフスタイルに幻滅し、自分のギャングに殺されたとされているが、実際はカデナがもともとメキシカン・マフィアとヌエストラ・ファミリア(Nuestra Familia(NF))の両方が団結して平和になることを望んでいたため、これに同意しないヌエストラ・ファミリアのメンバー複数人に刺され(50回以上+投げ落とし後さらに12回)、殺されたというのが実情である。一部ソースでは、La Eme内部(特にJoe "Pegleg" Morgan)が平和交渉を嫌い、NFに「green light」(殺害許可)を出したとも言われている。
カデナのような評判の高いメンバーは、自分たちを真に代表していると信じているギャングがライフスタイルに幻滅するような行動を決して取らないため、映画の描写は彼らの信念や生き方と大きく異なっていた。
公開からわずか2週間後の1992年3月25日、惨劇が始まった。
映画コンサルタントのチャールズ・“チャーリー・ブラウン”・マンリケスが射殺された。
その2ヶ月後、元ギャングコンサルタントのアナ・リザラガが母親の葬儀の日に射殺された。
さらに1年後、もう一人のコンサルタント・マヌエル・ルナも殺害された。
関係者10人が次々と殺害されたとされる。
サン・クエンティン刑務所の元ボクシングチャンピオン、ダニー・トレホも「この映画に関わった10人が殺された」と公言している。
監督のエドワード・ジェームズ・オルモス自身も殺害脅迫を受け、何百万ドルもの“保護料”を支払ったと言われている。
『アメリカン・ミー』は単なるギャング映画ではない。
公開後に起きた現実の報復が、ラ・エメの真の恐ろしさを世界に知らしめた作品である。