「なぜお前はレフティ(左利き)って呼ばれているんだ?」という問いに、「まとも(右/Right)になれねぇからさ」と豪語する男。
彼の名はLefty Gunplay(レフティ・ガンプレイ)。2023年に刑務所から出所した後、急速に頭角を現し、いま西海岸のストリート・ヒップホップシーンで最も危険な存在感を放つアーティストである。
本名、フランクリン・スコット・ホラデイ(Franklin Scott Holladay)。1996年4月28日、ロサンゼルス近郊のサンガブリエル・バレーにあるボールドウィン・パーク(Baldwin Park)地区で生まれた。この街は、カリフォルニアを代表する人気ハンバーガーチェーン「In-N-Out Burger」の創業地としても知られている。
彼の血筋は複雑だ。母はグアテマラとメキシコの血を引くラティーナ(純血のグアテマラ人だという噂もある)、父はミシシッピ州メリディアン出身の白人である。そんな環境から、彼は状況に応じて自分を白人、メキシカン、グアテマランと使い分けるようになったという。その父親は、Leftyがわずか2歳の頃に家族を捨ててフロリダ州へ移住した。現地で新しい家庭を築いた父親は、株ブローカーとして比較的裕福に暮らしていた。しかしLeftyとの関わりは薄く、送られてくるのはわずかな仕送りだけだった。Leftyは母親と祖母の手によって、ボールドウィン・パークにあるモバイル・トレーラーパークで育てられた。トレーラーハウスが密集するこのエリアは、アメリカにおける低所得者向けの簡易的なプレハブ団地のような場所である。外見こそ普通の住宅街に見える場所もあるが、Lefty自身は当時の生活を「電子レンジの中にゴキブリが這い回る」ような、貧困のゲトー環境だったと振り返る。母親と祖母の深い愛情を受けて育ったものの、父親の不在は地元のギャングメンバーが穴埋めする形となり、ボールドウィン・パークの過酷な街の現実は、少年時代の彼を容赦なくストリートの闇へと引きずり込んでいった。
Leftyは13歳の頃、地元のストリートギャング「KHA13」(Kings Have Arrived)に身を投じる。KHAはもともと、スプレー缶で壁や電車、看板にグラフィティを描くただの落書き集団(タグクルー)として始まった。主な縄張りはパシフィック・アベニューとヴァインランド・アベニュー、そしてパム・アベニューとフィルハースト・アベニューの周辺である。しかし2007年、メンバーが関与したエストラーダ親子殺害事件を境に、彼らは一形を成す。それまでの「ギャング気取り(wannabe cholo)」の落書き集団から、凶悪なSureños(スレーニョス)系の暴力的なストリートギャングへと変貌を遂げたのだ。
KHAはかつて「Eastside Bolen Parque」と同盟関係にあったが、2010年頃に対立が勃発。現在は、もともと敵対していた「Northside Bolen Parque」と共に激しい抗争を繰り広げている。現在の構成員は20〜30人程度とされている。
実は、Leftyは幼い頃からスポーツ万能な少年だった。フットボール、野球、バスケットボールのすべてで非凡な才能を発揮し、高校フットボールでは代表選手レベルで活躍。大学からスポーツ奨学金のオファーが届くほどの実力だった。さらに音楽の才能の開花も早く、小学校3年生で初めてラップを書き上げると、学校のタレントショーでは大好きなKanye Westのビートでパフォーマンスを披露して優勝している。当時の将来の夢は「消防士」だった。しかし、そんな輝かしい未来の可能性も、大学への道も、すべてがストリートによって閉ざされる。
14歳で銃撃事件への関与を疑われ、3年間の少年院送致。釈放後の2014年、18歳の時にはパーティーでの銃撃事件で再び逮捕された。この事件は、最悪の場合「30年から終身刑(Life)」を求刑されるほどの深刻なものだった。ここで動いたのが、かつて家族を捨てた父親だった。父親は高額な費用を払って有能な弁護士を雇い、司法取引によって「禁錮13年」という破格の条件(スウィート・ディール)を勝ち取ったのだ。さらにカリフォルニア州の法律では、凶悪犯罪の場合、判決の最低85%を刑務所で過ごさなければならない規定があり、本来なら11年は出られない計算だが、事件当時18歳という若さだったことなどが考慮され、実質「9年間」の服役で済むこととなった。
Lefty Gunplayはあらゆるメディアで、「18歳(2014年)で逮捕されてから、26歳(2023年頃)で出所するまで、9年間ストレートで刑務所にブチ込まれていた」と一貫して語っている。しかし、Youtubeチャンネル『Rap News & Street Politics』や『No Jumper』の指摘によると、彼の公式な犯罪記録(ラップシート)と照合した場合、彼が服役していたはずの期間中に、カリフォルニア州の各地で何度も逮捕と釈放を繰り返しているデータが残っているというのだ。
Lefty Gunplayは『No Jumper』などの主要メディアで、「18歳(2014年)で逮捕されてから、26歳(2023年頃)で出所するまで、9年間ストレートで刑務所にブチ込まれていた」と一貫して語っている。しかし、Youtubeチャンネル『Rap News & Street Politics』や『No Jumper』の指摘によると、彼の公式な犯罪記録(ラップシート)と照合した場合、彼が服役していたはずの期間中に、カリフォルニア州の各地で何度も逮捕と釈放を繰り返しているデータが残っているというのだ。
【謎とされる逮捕歴のタイムライン】・2015年7月24日: 器物破損(5,000ドル以上の損害)でウエストコビーナ警察に逮捕。・2015年8月23日: 前科者による銃器隠匿携帯でサンディマス警察に逮捕。・2019年11月15日: ギャング活動中の装填済み銃器携帯でボールドウィン・パーク警察に逮捕。・2021年8月7日: 規制薬物所持でサンバーナディーノ郡保安局に逮捕。
『Rap News & Street Politics』は、「Leftyは重罪の銃器犯罪を何度も繰り返しながら、その都度すぐに釈放されている」と言及。単に父親が雇った弁護士が優秀だったのか、あるいはドラッグの影響で本人が嘘を吐いているのか、はたまた裏で警察に情報を売る「ネズミ(スニッチ)行為」をしているのではないかと疑問を投げかけ、ストリートにおける彼の信用性を問題視した。
真相は依然として謎に包まれているが、Lefty自身はカリフォルニア州でも特に悪名高い超厳重警備のレベル4刑務所「ペリカンベイ州立刑務所」に収監され、SHU(懲罰房)での過酷な経験を語り続けている。身体に刻まれたタトゥーのほぼすべてはペリカンベイで入れたものであり、何より投獄中に107 Hoover CriminalsのJap5と出会い、彼からラップ活動を後押しされたことが人生の転機となった。Jap5との絆は今も健在だ。2026年1月末に釈放されたJap5とLeftyはすぐにリンクアップ(合流)し、ロサンゼルス郡拘置所の前でミュージックビデオの撮影を敢行。刑務所で出会った二人のストリートでの再会は、ファンの間でも大きな話題を呼んだ。
ちなみに余談だが、Leftyの弟は日本人女性と結婚しており、その縁で混同や混乱混じりではあるものの、少しだけ日本語を教わったというエピソードもある。
「Lefty」という名は、昔から「正しいことができない、曲がった生き方をする」彼に向けて仲間たちがつけたニックネームだった。そこに出所後、さらに仲間たちから「Gunplay」という不穏な名が加えられ、Lefty Gunplayとして本格的な音楽活動がスタートする。出所後すぐにインディーズでリリースしたシングル『Spin the Block』と『Certified Stepper』の2曲がネット上で爆発的にバイラル。同年12月にはロサンゼルスのインディーズレーベル「OTR Records」との契約を勝ち取った。
2024年2月にはデビューアルバム『Rookie of the Year』をリリース。刑務所内の孤独やストリートの現実を赤裸々に描いた内容は、ウェストコースト・シーンのヘッズから熱狂的に支持された。彼の勢いは止まらず、同年中に『Famous Gangbanger』、『PreSeason』、『Most Valuable Gangbanger』と、驚異的なペースでアルバムを連発していく。
そして2024年11月、彼の運命を決定づける大事件が起きる。西海岸の帝王 Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)がサプライズリリースしたアルバム『GNX』の収録曲「TV Off」に、客演(フィーチャリング)として大抜擢されたのだ。プロデューサー・Mustardのビートによる「Mustaaaaard!」の叫び声がバイラル化したこの楽曲で、Leftyは曲のラストに「Crazy, scary, spooky, hilarious(クレイジー、怖い、不気味、笑える)」という4つの単語を繰り返すチャント(フレーズ)を担当した。
このパートはファンの間でミーム化するほど話題となったが、一部からは「ただ4つの単語を繰り返しているだけで、本物のヴァース(歌詞)ではない」との冷ややかな声も上がった。また、Leftyが過去に人種や女性に関する過激な発言で批判を浴びていた経緯もあり、ケンドリックが彼を起用したことについてはシーンで賛否が分かれる結果となった。
ケンドリック・ラマーはDrakeとの歴史的なビーフの最中、アルバム『GNX』を通じて西海岸の「Black(黒人)」と「Brown(メキシコ系・チカーノ・スレーニョ)」の強固な団結を打ち出していた。所属するセット(派閥)やフッドの垣根を越え、同じ西海岸のカルチャーを共有する仲間として、若きチカーノラッパーであるLeftyに世界的ステージへの機会を与えたのだ。
この抜擢の裏では、ストリートのパワーゲームも絡んでいた。特にメディア『No Jumper』に頻繁に出演している重鎮・Wack100がLeftyを激しくディスしたことでLeftyは激怒。「もう二度とNo Jumperには出ない」と公言する泥沼の展開へとも発展している。
数々の波紋を呼びながらも、「TV Off」は大ヒットを記録。ビルボード・Hot 100で最高2位を叩き出し、2026年2月1日にロサンゼルスのCrypto.comアリーナで開催された「第68回グラミー賞」において、見事最優秀ラップ・ソング賞を受賞した。Leftyはラティーノラッパーとしてケンドリックに深い感謝を述べ、「不可能なことは何もない」と力強く語った。
しかし、世界的なスターダムに上り詰める舞台裏で、ストリートの過酷な現実はすでに彼の足元に暗い影を落としていた。グラミーの熱狂から間もない2025年2月23日、パフォーマンスのために訪れていたテキサス州エルパソにて、シートベルト未着用を理由に車を止められたLeftyは、規制薬物の所持および矯正施設内への禁止物持ち込みの容疑で逮捕される。この時は3万5,000ドルの保釈金を支払い翌日に釈放されたものの、翌月3月16日には再び最悪の形で逮捕されることとなった。場所は、イングルウッドで開催された巨大フェス『Rolling Loud』の舞台裏。ステージに上がるわずか数十分前、ボールドウィン・パーク警察が発行した2023年の銃器不法所持による未執行の逮捕状に基づき、警察に身柄を拘束されたのだ。保釈金は50万ドルという高額に設定され、後に保釈されたものの、彼の法的な危うさは何一つ解決していない。
「真っ当に生きられない(I can’t get right)」
ボールドウィン・パークの静かなトレーラーパークから始まったその叫びは、今や世界中のストリートに届き、皮肉にも彼がまともになれないままでいるからこそ、人々の心を揺さぶり続けている。